スイカが好きなフリをする

博士後期課程D3/看護学/障害学/社会学/研究や旅行、日常で思ったことなどを楽しそうに書いています

雨なので研究、研究。




息抜きにコーヒーを飲んだり本を読んだり。
休んでいると疲れているのか、低気圧のせいか考えても仕方がないことを考えて、よくない気持ちになる。



起きたことは、もうどうしようもない。考えない。これでおしまい。
「人との会話を反芻しない」というのもこんな感じなのか。考える必要のないこと。



生きているとどうしようも避けられないことがある。
マイノリティであるならなおさらだと思う。
だって、一般化というか大衆意識となっているものに合わなければマイノリティとなるんだと思うし。

一般化したものは、そこら中で発生している。

すると日常生活のどんな場面(会話とか仕事とか生活)でも、生きづらい経験をするんだと思う。




そういった経験は、「あぁまたこれか」と思ってみたり、上手に受けられなかったらその度に自尊心が低下するようなことになるんだろうか。






同期生から聞いた視覚障害者の話をひとつ。

職場に視覚障害者の人がいて、その方は職場のスタッフに理解をもらって仕事をしている。
それが5年ほど経っても、ふとした場面で「見えないこと」を忘れられて、時間を過ごすことがある。
その度に自分から「私は見えないので教えてください」と申告する。
この場面に対して、この視覚障害者と共に働く同期生と職員は「いつも一緒にいるから慣れてしまって忘れてしまってた」という。当たり前のように。




慣れることで、その人の障害や日常生活の困難さはなくならない。
もし私がその視覚障害者の方だったらとても悔しく感じると思う。