スイカが好きなフリをする

博士後期課程D3/看護学/障害学/社会学/研究や旅行、日常で思ったことなどを楽しそうに書いています

礼儀と挨拶について

親しき仲にも礼儀あり、とはよくいったものである。
そう、私も義理と人情に重きを置く国に生まれたのだ。





デパートらしき建物の中でエレベーターに乗り上層階にある本屋を目指す。
買うあてもなく本屋に行くことが多い。
本屋に行くことが趣味のような感じ。
大学生の頃は、"アルバイトの面接が趣味"と友人から揶揄されるくらいに落ち続けた時期がある。
飲食店、本屋、居酒屋など、どこを受けても採用されることはなかった。
結局、1度面接で落ちたパン屋さんを半年後にあたかも初めて来ました感を纏って再度受けることでしばらく働いていた。
その頃は趣味として青春18切符を使った旅行と自転車ロングライドをやっていた。



エレベーターに乗る話へ戻る。
乗ろうとすればランドセルを背負った子がドアを開けるボタンを押し続けてくれている。
ありがとうございます、と伝えてスペースに入る。
いい歳をしていてもできないことなのに、ランドセルを持っている頃からできている。
いい歳をしていても、する必要はないのだけれど。
してもらったことに対しては、してもらって当たり前の姿勢を取るのではなくてちゃんと感謝したい。
育ちがいいのか、親の躾なのかなにかは知らないけれど、私がランドセルを背負っていた頃はそんなことができるはずもなかった。
昔の自分と比べてどうだとかいう考え方はよくないと思っている。古い。
年齢による驕りだ。反省。


ボランティアにおいても、してあげる精神でするのはおこがましいと思っている。
したくてやっていることなのだから。







他人に対して敬語もしくは丁寧語を使う。
どんな場所でも話がやって来て、近しい間柄のような言葉遣いなので「私とあなたは友達ではないのだけれど」というように高校生ぐらいの頃からよく思っていた。
なのでこの姿勢があるのだと思った。
自分の考えを他者に強いるのはよくないので、今では他人が喋る言葉についてはどうでもいい。
あとは、自分が学生だということを伝えれば態度と口調が変わる人にも多く会った。
今も学生なので会う。これは信用できない。



学生だからできないだろうと思われることがある。
20歳を越えてから「こんなこともできるのか」なんて驚かれることが多い。
逆にいえば「こんなこともできないのか」もある。
まぁええやん。そりゃ苦手なことだってあるよ。

最近も驚かれることがあった。
自分のことをきちんと伝えていないためでもあるけれど、嬉しさとか悔しさとか、見てろよこの野郎とまで思うことがある。
過大評価されるのも過小評価を受けるのもある。
ほどほどって難しいのですね。
期待してくれる人がいたり、その環境があることはとても恵まれていると思う。




今日も卵かけご飯がうまい。
そして頂き物のサンマのフレークをトッピングすればもうヘブンである。
赤卵にうなぎのたれをかけてご飯でいただく。
なんていい時間なんだろう。