スイカが好きなフリをする

博士後期課程D3/看護学/障害学/社会学/研究や旅行、日常で思ったことなどを楽しそうに書いています

お土産と声のはなし

そう、私は声フェチである。

友人とバスに乗った。
後ろ座席に座る2人の声は決して大きくないのだけれど、不快に響く声だった。
横に並んで座る友人に詫びて、席を移動した。

目的地に到着し、友人とバスを降りると席を移動した私に対して「お前は正解だったと思う」
とかなんとか言っていた。




声色でできるコミュニケーションがある。

おこな声やイライラしている声はわかりやすい。
そんな声で話しかけられたら話す気無くなるよね誰だって。

電話で焼肉屋を予約すると、とても妖艶できれいな声の人が案内してくれた。
私は声だけで好きになった。
すげぇいい。

2年半ほど前、映画館で“聲の形”を見た。
先日、地上波でも放送されたそうだ。
聴覚障害のある女の子が主人公のアニメだったと覚えている。
泣きながら見たか、感動しながら見たかと思うけれど当事者にある生きづらさを感じた。


聴覚障害のことはhearing disabilityの表現の方が適しているらしい。
英会話のクラスでdeafという単語を使って話していると、「上記の方がいいんだよ」と教えてくれた。
そして、Disabilities (障害者)とするよりも、
Person with disability (障害者)とした方がいいようだ。
後者の表現だと“障害のある人”となる。
障害と個人を別々に考えるのだ。


そんなことを勉強していたし、
英語文献データベースでそのようにあるので確かなことである。
ソースはCochrane Library とPubmed

そんな私も2018年8月の末、交換留学先でポスターを使って研究の発表をしてきた。
一生懸命になって人を呼び込み、プレゼンをした。
たくさんの示唆と助言をいただいた。
内容と作品の出来は置いて考えれば、100点満点で私の中では成功体験として終わった。
指導してくれた先生には感謝しています。



外国で買ったお土産の1つは、いつも利用している食堂に渡した。
食べ物を食べさせてくれる人にはありがたみが深い。
お金を払って食事を購入しているとかでもないし、
食事を提供する職員もお金をもらって食事を提供しているんだよ、とかでもない。
おかげさまで、いつも美味しくいただいております。
私は麻婆豆腐丼のメニューが大好きです。



ある場面で、きれいに遊ぶことを教えてもらった。
お金の使い方、コミュニケーションをもって、きれいに遊べるのだと思う。


お土産を渡すと、すごい喜んでくれることがある。
めちゃくちゃ気持ちがいいし、私はこの人にお土産を渡すために生きているのかもしれないとまで思うことがある。
だから私もカッコつけてクールに受けとるのではなくて、嬉しい気持ちは溢れ出していこうと思う。

あと、渡す人や渡したいと思う人がいることはとてもありがたみが深かった。



そんな今日、大学院の同期生が長野県松本市でお土産を買ってきてくれた。
久しぶりに会ったのも合わさって、とても嬉しかった。
美味しいし、1人で食べきれなかったので夏休みが開けたような友人におすそわけするととても喜んでくれた。かわいかった。

研究の仕方と要領の問題なのだろうけど、大学院生に夏休みはないな。
夏休みをしていたらきっと卒業できないだろう。
やりたいことをしているので全く苦ではないし、むしろ楽しい部類に入る。
向いているのだと思う。




幼い頃、父親とオセロでよく勝負していた。
その頃、私は絶対に勝つことができなかった。
父親は本気でやってくれていたのだ。
どうにかして勝とうとすることで、戦い方の基礎がその時点で身に付いたのだろうと今になって感じた。
だから今の私はクソ負けず嫌いであるし、戦う方法を考えて実践するのも好きである。

その一方で戦わないことや、逃げることもできるようになった。
勝てなくていいのだ。