スイカが好きなフリをする

博士後期課程D3/看護学/障害学/社会学/研究や旅行、日常で思ったことなどを楽しそうに書いています

なぜかできないことについて

オードリー若林正恭の著書:ナナメの夕暮れを読んでいて、気になっている文章があった。


“ぼくは今でも後悔している高校時代の発言がある。体育の時間のバレーボールの試合で、当時オタクと言われていた運動音痴の同級生が立て続けにレシーブを失敗しているのを見て「お前ふざけてんのか?」と言ってしまったことだ。
彼は、努力をしていないわけではない。
なぜか、レシーブができないのだ。
なぜかできる人は、なぜかできない人の気持ちがわからない。”



なぜかできる人は、なぜかできない人の気持ちがわからないこと。
私はこういうことを文章にしたり、今後も考えていきたいと思っている。
私もできないことに対して、暴力のように非難する姿勢が無いように気を付けている。
まぁ、できなくても死なないからそれでいいじゃないですか。


できる人ができない人へ気にするのは、“優しさ”なんでしょうか。
優しさという大義名分を身に纏えば、何をしてもいいのではない。
違うところがあって個人でしょう。
大勢と同じであることが勧められていませんか。同調圧力
今でこそわかる、小中学校の私は正体のわからないこれに苦しんでいたと思う。思考への暴力。


著者が高校時代の話をしているように、
“あっ、要らんこと言うたな”って事は私もよく覚えている。
しかし、これは自分の意識がわかってきた頃のはなし。
それ以前は、要らんことだと気づくことなく無意識で思いのままに失言を続けてきました。すません。


ヌードルハラスメントがある。
たまに「あなたのそれは“アクロバット吸引”なのかな?」と言いたくなる場面もある。
まぁ、いろんな食べ方があるものね。
私は暴露されると、すげぇ音だな、くらい。
あれは別にどうにでもできる。
しかし、音を立てて噛むガムとか、人を殺しそうなほど残酷な鼻水すする音は苦手。
私にはあれが、人を殺しそうなほど残酷に聞こえてしまう。
日常にありふれているので避けるしかない。
自分がするのも嫌なので風邪はひかないし、有事には秒で鼻水を排出する。
鼻水ハラスメントはわりと気になる方あるんじゃないでしょうか。





先輩と話していると、
「君は、ぬるっと入ってくるコミュニケーションをするね。2回目に会うときも特別緊張しない。」
と言われたことがあった。
(その時の私は、“やるじゃないですか私”みたいな表情をしていたと思う)(単純)
2言目がものすごく嬉しかった。ありがたいです。


1言目については、言われた瞬間に意味がわからなかった。
考えてみると、しばらく前に会ったときに話していると「私ら、下は開いてませんから」と言って、下方を閉じる仕草をしていた。
おそらくこの事だろうと思ってちょっと楽しくなる。
この仕草は私が話そうとしていることを中断させてまで挟んでくるので、私は話す内容を今後気を付けた方がいいのかもしれない。
私にはそれが、お笑いによくある鉄板ネタのやりとりのようにも見えていたのだけれど。
私はきっと、今度もやってしまうのだろうな。
もう一度見ることはできるだろうか。
下品なことやお世辞は言っていない(と思っている)ので、話をするのも聞くのも面白い。
 



今日は出汁でしゃぶしゃぶ。
くっそうまいやんけ。
豚に感謝、尊いよ。
そして出汁はすごいよ。


2018年9月に食べた私史上、さいつよのあんみつ@香川県の西端
f:id:fusimiyuyuyuyu:20180926174349j:plain