スイカが好きなフリをする

博士後期課程D3/看護学/障害学/社会学/研究や旅行、日常で思ったことなどを楽しそうに書いています

経験知が繋がる“20代と大学院”のはなし

タイトルに“経験知”と書いた。
はたして私の書いたことと経験知の持つ意味が一致しているかは怪しいところではあるが、それらしいことが言いたいのだ。ご容赦。

知識は一つ一つが独立していて、それだけでは意味をなしていないものが接続する。
それによってある時には危機を脱するヒントになり、クリエイティブな作戦立案や行動の選択肢が広がりもする。

私にとって20代と大学院はそんな期間だった。
20代もまだ折り返しなのですごく楽しみである。
そしてまだ修了していないのにここまで書いてしまうあたり、なかなか調子に乗っている。

オットー・フォン・ビスマルクは、
“愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ”だと遺してあった。なんかの歴史で覚えた。



今回の場合、事の発端は私の所属する研究室へ世話になった先生から学会の案内が届いた。
前年度末に偶然に地方の駅で見かけて、つい声をかけてしまっていたのだ。
外に出ると思いがけない出会いに恵まれるのでツいていると思う。
積極的に外に出るようにしている。
その理由として借りている下宿先はなかなか音を通してくれるので家に居たくないというのもある。ノイズィ。
今までに借りた家の中では、同アパート内に居た早朝大声絶唱男が一番辛かった。
AM4時くらい。新聞配達かな?

他に、マイク音声通信ネットゲーム男も堪えた。
(ネットゲームかどうかは肉眼で見ていないのでわからないが、声が止むことはなかった。私の世界では深夜早朝問わず聞こえる声に対して、電話とは考えられなかったためネットゲームとしている)
聞こえない程度にできないのかい。
盛り上がっちゃう!のかい。





研究室へ届いた案内の差出人は学会長をしているようで、他にも私に面識のある先生が来るのであなたも来なさいよ?という風味の内容だった。
私としては参加することが息抜きとして丁度よいと思っていた。
指導教員も、行った方がいいんじゃない?相手にメールもしといたよ。って感じだった。
参加しない選択肢がなくなっているようにも見えたけれど、義理と人情に生きる私が世話になった先生の召集に応えないわけがなかった。



養護教諭の学会。
畑は同じだと思う。
しかし、私に実務経験はない。
だから話聞いてもわかんないし、挨拶だけすればいいや。
と暢気に考えているとプレコングレスといわれる席でグループワークに巻き込まれた。
私はなんちゃって養護教諭二種免許を持っている。
そのおかげで、できないなりに話を聞けて話をしたと思っている。
社会資源とか、連絡/調整とか、道徳相談とかの方法や機能を知ってるだけor考えてるだけでなんにでも共通するところはあるよね。
参加者の問題解決思考は話を聞いていて勉強と刺激になる。
こんな方向からアプローチするのか、とか。
視点が広がる。
そういう考え方や方法は養護や看護の現場だけでなく、自分の生活でもいいしどこにでも生きるよな。


グループワークは雑談が楽しかった。
養護の院生や分類の難しい院生も参加していた。
一緒になりキャンパスから歩いて昼飯を食べに行った。
帰路は強めの雨が降っていたのでスーツスタイルの女性3人とびしょ濡れになりながら同じ方向へ向かって走るのは滑稽で。ものすごく愉快だった。セクシィ。みんな風邪をひいてないといいけれど。
昼飯の台湾料理では、
値段が安すぎて怖い、と一人が話していたので心のうちではものすごく共感!しながら冷静に相槌をうった。
わかる。自分がどんなもの食べてるのか気になる。
知ってしまうと怖いものを食べていたりするから。
長野県の話やしまなみ海道、新聞の話が活かせたので、いろいろしてきてよかったと思う。


そんな先生の免許をとったのも私が復学した19歳の時に先輩が面倒を見てくれたからだ。
働く選択肢のことや取れる資格はとっとけのようにありがたいお言葉をいただけていた。
恵まれている。

経験が繋がったり、過去の経験に理由がついたりする。ふっと湧いてくる嬉しさに満たされるので、今後もやっていこうと思う。
勉強や研究は能動的に取り組んで楽しかった。

小説を読んでいても感動することが多い。
自分の考えや経験、聞いていたことと重なって「こういうことだよな、おい」と思う。
感情描写や風景描写は面白く、自分の捉え方が増える。
今度この言い回し使ってみよう、とか。

知らないことを知るのが面白いから本を読んでるんだよな、きっと。
自分の言葉になっていない思いが、偶然本で見つかることもある。



私大好中華麻婆豆腐
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