スイカが好きなフリをする

博士後期課程D3/看護学/障害学/社会学/研究や旅行、日常で思ったことなどを楽しそうに書いています

私の眉毛が左右対称でないことについて

図書館に入ると、大部屋だ。
そして入り口の時点で遠方から声が聞こえる。
静かな部屋を探して入室してみればそこも同等の声が聞こえる。
二人で貸しきり利用しているようだ。
どの部屋もコスタディもしくはコワーキングスペースなのだけれど。
諦めて退出し、先程の大部屋騒音お姉さんに聞いてみる。
近づいてみると女性に眉毛はなかった。

そして話を聞いてみた。

落ち着いた頃に、どうして私がこんなことを話さなければならないのだろうと思う。
頼むから職員がなんとかしてくれ、と。
耳栓や音楽でも防げないような人の話し声はBGMにできない。
その話を図書館でしなくてもいいでしょうが、って思う。



先日、大好きな池袋ウエストゲートパークを読んでいると共感する文章があった。

“日本人の音への鈍感さが顔を出した。ホームやエスカレーターのアナウンス、商店街でかかる安い音楽、街をいく街宣車や広告トレーラーがまき散らす大音量のノイズ。どれも音に対する感覚が鈍くなっているから、許される耳への暴力だ。”

幽霊ペントハウス石田衣良



気になる自分があるとわかっている。
いつかの友人が「俺らも歳をとったんだって」と言ったのを思い出す。
この言葉で解決できるものもあれば解決できないものもあるのだ。




食堂に行くと、交通事故に遭って休んでいた重鎮おばちゃんが復帰していた。
週1回から仕事を始めたそうだ。
骨を2本折ったので、まだリハビリをしているらしい。
たくさん語ってくれた時におばちゃんの眼は潤んで見えたし、とてもいきいきしていた。
「足で車を止めようとしたんよ。やっぱ車には勝てんなあ。」
「入院でずっと病院いたらボケるわ。家ってほんまええなあ。」
「あんたが応援の声をくれたのも嬉しかったよ。」
リハビリの荷重についてや抜糸の話、後に迫る抜釘手術のことなどを喋り続けていた。
語る体験っていいよね、話せる機会ってなかなかないもの。元気をもらった。
伝える内容の想像が全くできない人に話すのと比べると、自分の体験がわかる人に話す方がおもしろいよな。

事故についても話していたのだけれど、内容は本当にしょうもなかった。
加害者に情状酌量の余地はない。
私は“運転が荒い、交通事故ワースト”なんて言われる県に住んでいる。
荒いとかではなくて、マジで下手くそなのだ。
交通ルールを無視する場面も見るのでその度に運転手には免許を返して欲しいと思っている。
あなたは交通ルールを知らないの。
どの場面においても、産気付いた妊婦を運んでいるとか、親の死に目に会うため~、とか理由はないでしょう。
うんこ漏れそうなら勝手に漏らしてどうぞ。
そんな理由で怪我や入院、事故をしたくないので。





先生になった先輩と同志学者でスターバックスに行った。
先生から私の眉毛が左右対称でないことを注意される。
アシンメトリーなんですよ。」
なかなかわかってもらえなかった。
もちろん、好きでアシンメトリーにしているわけではない。
整えることに失敗をしているのでもない。
なぜかできないのだ。

その同志学者には初めて会ったのだけれどなぜか秒で仲良くなった。
先生が言うには私の同期生と似ているからだと言っていた。
その人は他学部を卒業して看護の専門学校に行き、4年制大学へ編入したらしい。
いろんな出会いに恵まれている。
おもしろかった。



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私は学部2年生の時に壇上で先生から受け取り、
先日は大学院生として会いに行った。
紆余曲折あったけど、よかったんじゃないでしょうか。
面倒を見てもらった恩師です。