スイカが好きなフリをする

博士後期課程D3/看護学/障害学/社会学/研究や旅行、日常で思ったことなどを楽しそうに書いています

子育てのはなし2と粉瘤について

脳性麻痺の子を育てる両親、
重症筋無力症の子を育てる母親、
発達障害の子を育てる母親、
障害を負って大学生になった女性、

大学院の2年間でいろんな方と関わることができた。
その度に家族であることや、両親が子供の親であることを感じる。


(秋、昼)
私は話をする相手が障害のある子と生活している親とは知らず、話していた。
相手が年上だろうと先輩だろうと話さなければならないことはあるのだ。



私「知らなかったからごめんなさい、では終わってほしくないと思っています。謝ることなら私にもできますからね。(中略)言葉では表現できても、なにがどうだったかまでは考えていないでしょう。」

相手「自分の子供に障害があるのだけれど、それと重なってしまって。ごめんね泣いてしまって。」
「計算だってできるし、運動だってできるんです。でも、できないこともあるんです。」

私「棘のある言葉を喋ったかもしれません。これが全てではないですが、1つの声でもあると思っています。」


親として子育てに悩むこと。
それは親が障害のあることを考えているからなのだろうか。
周りと比べているからなのだろうか。
自分の幼少期や今までに見たものと比べているんだろうか。考える。
親が子供を囲いこむようにしてしまう場合も見てきた。考える。

ここにも、医者と子育てのことを書いている。
子供が自分の人生を生きるということ。
https://kamoriv.hatenablog.jp/entry/2018/07/01/213202





10月くらいから、胸にしこりらしいものができていた。
特に気にしていなかったのだけれど、日を増してサイズアップした。
11月にはシャワーの水圧で痛いくらいになったので、あかんこれは病院行こう。となった。
それは第三肋間辺りにできていた。世話になっていた皮膚科で見てもらいたかったのだけれど、時間がかかるので近所の診療所にいった。

医者は私のそれを見て、触ったあとに「局部麻酔で手術ね。受付で予約しといて。」と言った。
私が「これはなんなのですか?」と問えば、
「わからない。とりあえず取って検査に出す。発生の原因もわからない。」



ひどすぎて話にならんと思った。
そんな大したものではないだろう?
(私が診断するものではないな)
(希望的観測によるものもある)
お前が指で2秒触っただけで手術されてたまるか。



そして翌日、フルマラソンを完走した。
今回で完走は3回目なのだけれど、歳を重ねてもタイムが更新できるのはありがたいことなのです。

ラソンのエイドポイントで食べれる蜜柑が美味しかった。ほんとうに。
あと、お菓子準備してくれてる地域の方もありがたい。
ポッキーをくれる人もいた。
なるほど確かに今日は11月11日か。
ありがとうございました。

翌日は服修理屋さんで預けていたお気に入りモンベルジャケットを受け取った。
ポッキーの日だったので一袋どうぞ、といただく。
服と鞄と靴は感じの良い修理屋さんに出会えた。
このジャケットは6年前に古着で買ったにも関わらず今でも全線を張ってくれる。すごい。




月曜日、付き合いの長い皮膚科で診てもらった。
塗り薬でよい。
手術したいならしてもよい。
前者は根本的な治癒ではないけれど気にならないくらいにはなるよ。
という具合だった。
それは“粉瘤”だという。
粉瘤の識別もつけれない看護師資格とは情けない限りであった。


麻酔は嫌いだ。
なにより怖い。
全身麻酔なら、もう意識が戻らないかもしれないこととか。
なにか不自由が残るとか。
そんなことは起こり得ない、のだろうけどゼロではないのだ。
局所麻酔でも、今回の場合なら胸に注射を射つなんてビビり私には耐えられない。
麻酔の薬剤が血管に入ってくるときの感覚は経験したので、もう積極的にしたくない。
あっ!これか!なんかきてる!と思う頃にはもう意識がないのだ。
手術入院(抜釘)をしたときのことを覚えている。
手術用のベッドへ自発的に横たわったときは体温が3度くらい下がった気がする。



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日本三大饅頭の大手まんじゅう。
甘酒でできた薄皮が餡に巻かれてある。
1つ食べれば飛ぶ。気をつけろ。