スイカが好きなフリをする

博士後期課程D3/看護学/障害学/社会学/研究や旅行、日常で思ったことなどを楽しそうに書いています

おっちゃんとレスポンス

自転車を持って駐輪場で「スタンド無いやつです。」と伝えたら「特等席が空いてます!」と返して案内をくれるおっちゃん管理人。私は「やったぜ!」と返す。そしておっちゃんも笑い声。

実際は全然特等席じゃないし、ほんとうに無責任なあれだけど気持ちが良かった。

金閣寺前のバス停で、アジア系家族からスマートフォンで写真撮影を求められるおっちゃん。快く応じている様子で、その家族に「ウィスキーって言ってください」と強要する。家族は「Wiski」とにっこり笑顔。 これもすごくおもしろかった。

私は褒められた時に「やったぜ!」と両手を握るようにポーズをとる。嬉しいからでもあるし、恥ずかしいからでもある。私は褒められることが珍しい歳になってきたけれど、やはり嬉しいものだ。

「いい質問してるなと思った。入学した時から成長していると感じたよ。」なんて言われたので今年中はこの言葉で頑張れると思った。あと、場を和ますパーソナリティを褒められた。技術や能力とかではなくて、人格の一部分に触れられているようでそれはもう嬉しかったのだ。この事を教えてくれたのはこれで2人目だ。たとえ真剣でも、私は絶対どこかふざけているからだと思う。

あと、このような反応があったのは自分が適応しかけているためだとも思うのだ。自分の能力や技術が変わっていなくても、適応していなければパフォーマンスは発揮できないのだ。ここからわかった残念なことは、4月から能力の向上ができていないと思うことなのだ。できたことは、持っていた能力の使い方を考えて、整理した感じ。まぁ、適応しかけているので十分なのだ。整理整頓は大事なのだ。

仕事をしていて10ヶ月ぐらい経った頃、職場の先輩から「はじめはあんなにひどかった君が、今はこんなになったんだよ。わたしゃ少し泣きそうだよ。」と言われた。歳下の先輩だった。正直めちゃくちゃ嬉しかったし、言葉によって実感できるところもあった。先輩たちが面倒を見てくれたおかげなのです。しかし、その頃には師長に「年度末で辞めて大学院に行きます。」と伝えてあった。すると「行っても意味がないよ」と返事があった。(「あなたに意味がなくても私に意味があるのですよ」)

私は働き手の確保とか新人離職回避とかにも興味や関心が無いのです。まず、私は入職する際の面接で看護部長に「次に進むための手段です」と伝えていたからね。わたしゃ強気ですわよ。

一緒に働く人が素敵だったなぁ。(みんな素敵とは言ってない)

少し前の自分を見ててくれて、その頃と比較して今の評価をもらえるのはありがたい。それは良い評価でも、悪い評価でも。私は調子に乗ってすぐに劣化してしまうからな。

f:id:fusimiyuyuyuyu:20190801133036j:plain おすそ分けてもらった長野県リンゴ農家のジャム。シナノォ。美味しすぎてしばらくの間ヨーグルトばっか食べていた。ヨーグルトは今も食べているけれど、そのジャムはもう無い。カムバックシナノォ。