スイカが好きなフリをする

博士後期課程D3/看護学/障害学/社会学/研究や旅行、日常で思ったことなどを楽しそうに書いています

人生を豊かにするチラシ配りから学ぶ3つの教訓

どこかの自己啓発本ふうなタイトルにしてみる。

私がチラシ配りを手伝ったのは事実だ。

人生が豊かになったかどうかはわからない。

教訓を3つ書いたかどうかもわからない。まず、教訓なんてものはない。

研究の手伝いでキャンパスをターゲットにチラシ配りを行った。私にとってなにかを配る体験は初めての事で、わりと楽しみでもあった。

それは断られる経験なのかな、なんて話していた。断る意識なんてないんじゃないですか?と返ってきた。なるほどそうか。それは私に受け取ってくれる前提があるからそんな風に思ってしまうんだった。

勝手な前提とか期待があるから、不満になるのかな?

人の話を聞いていてそんな風に思ったことがあった。

バス停で乗るべきバスを1つ見送って次の便が来るのを待っていた。そのバスはとても乗車率が高かったので、次の便にしようと思ったのだ。急いでないしな。次の便は人あまり乗っていませんように。叶いにくい事を考えながらイヤホンを付けてバス停近くに立って待っていた。

すると、道案内を頼みそうな感じでスマートフォンの画面を向けて近寄ってくるアジア男性があった。私は具合の悪い状態だったので、断った。

お礼に男性はえらく怪訝な顔をくれた。次の人に聞きに行ってくれたようだ。

それは不満だったからなのだろうか。その人には、もちろん日本の人は道案内をしてくれる前提があったのだろうか。

大学生の時、「私は自分にあまり期待していない」と友人は言った。なかなか尖った事を言うな、と思った。その時の言葉と状況は印象に残っていて、それからもたまに考えることがあった。

チラシ配りの実際はどうだったか。

1人に受け取ってもらえて、残りの1人や2人に「おにいさんもどうですか?」「おねえさんもどうですか?」と追い打ちをかければなかなかの確率で受け取ってもらえる。それで断られたとしても、すごく愛想が良かった。

心理的なものなのか、コミュニケーションなのか、面白いところがあった。受け取る人の表情やその後の2人あるいは3人が楽しそうで、渡すのが心地よかった。

「ねぇ、おにいさんだって☆」「は?おにいさんじゃん。」

普段はないような、堂々と他者を見る機会でおもしろくもあった。すまんな、仕事なのでな。

しかし渡した相手の顔はほとんど覚えていないので、同じ人に『あたかも初めて渡します感』で何度も声をかけてしまっていたのだと思う。これがなかなか辛かった。申し訳なさすぎる。