私は電話で何かしらの予約をするときの名前に「フジワラ」か「ヨコヤマ」を使う。私は自分の名字が気に入っているけれど、電話となるとたまに言いにくい時があり、私の滑舌の悪さも相乗して聞き返されることが多いのだ。
言い直すのってなかなかエネルギーがいる。申し訳なさもあり。
ちなみにだけど、「フジワラ」を名乗っていままでに一度も聞き返されたことはない。フジワラの圧倒的信頼感。というわけで、予約をするときに私はフジワラかヨコヤマになる。先日、電話でTシャツの取り置きをお願いした際に私はフジワラだと名乗った。すると、なぜか初めてフルネームを問われたのだ。
おいおいまじか。名前の返答に悩んでたらすごい怪しいよな。はよ答えなきゃ。
私はうろたえた。狼狽した。フジワラさんという架空の名字を考えているだけで、名前の設定なんかないんよ。だけど、名前を問われて慌てていることを感じさせてしまっては完全にヤバいやつだと思われてしまう。受け取りにも行きにくくなるし、そもそもこの電話を通報されるかもしれん。まあそこまではないか。
私は、苦し紛れに「フジワラタツヤ」だと名乗った。そして、了解を得た。するとどうだろう。私はお店に着いたら「「フジワラタツヤ」が受け取りに来ました」と名乗らなくてはならなくなったのだ。
ここで私は頭を抱えた。私を見たことのある人はわかるだろうが、私は「フジワラタツヤ」って感じじゃない。まったく違う。
まあじっさいには頭を抱えてないけれど、すくなくとも判断を誤った、と感じた。慌てているときの判断なんてそんなものだ。いつも変わらない調子でいたいと思う。
それは研究科のボスを見ていてそう思う。そうでなくても28年生きていろんな人に関わってきて、そうありたいと思っている。
"どんなときも調子が変わらない"ってすごい。安心してついていける。
それに、ゼミナールはおもしろいこともたくさんある。だけど今ではオンラインに移行していたし、これからもそうなる気配がある。その方が出席率がいいので、先生たちや私たち院生にとっても都合はいいのだが、私はすこしさみしくもある。 ちなみにオンラインでは自分のマイクをミュートにして笑っている。おもしろいものはおもしろいのだ。