スイカが好きなフリをする

博士後期課程D3/看護学/障害学/社会学/研究や旅行、日常で思ったことなどを楽しそうに書いています

ワイ(29)、クリスマスに手術を受ける

ーーー20201225(DAY0)

クリスマスの朝は、病院に行ったら手術をすることになるなんて微塵も思っていなかったんだ。だって私は朝から自転車に乗ってパチンコに行っていたくらいなのだから。

さて、AM10時過ぎ。私はパチンコに来たのだが、店が開いてない。じゃあ今日一日のスケジュールに考えていた皮膚科へ先に行ってしまおう。そうしよう。

ふーん、パチンコ屋も命拾いしたね。もし朝に私がパチンコをしていたらとんでもない大勝ちをしていただろうから。

皮膚科に着いて、医師に患部を見せてこれまでの状況と一週間薬を飲んでみた結果を話した。すると、局所麻酔で切除することが決まった。

えっ。覚悟ができていないのですが。そういうのは、「明日手術するんだ」と思いながら前日は寝て、当日は眼が覚めたら「今日の何時から手術なのか」と憂鬱になるのがお決まりなはずなので。それ、ほんとうですか。そんなにいきなり決まるものなのですか。

そんなふうにいくらでも言葉が浮かんでいたのだが、私は大人なので、思っていたことは口に出さなかった。

そして今回は秒で決断できた。

「手術受けます」。私はこの皮膚科が頼れるところだと思っていたし、じつは2年前にも奇妙な病院で「手術しますか?」と言われていたからだった。

2年前の私はビビりまくって、「手術はしません、薬で様子をみます」と先延ばしにしていたのだ。じっさいは思った通りに先延ばしができていて、薬を飲まなくなってからも問題になることはなかった。だけどなぜか、この12月で途端に煩わしく、痛いものになったのだ。

これを解決して年をこえたい。問題は解決できるときに手を打ったほうがいいこともある。

そのあと、私は処置台(?)に仰向けになった。看護師さんからは、聞いてもいないのに「麻酔は痛いですからね」と聞かされた。それから私は麻酔を震えて待った。上半身裸で。ただ寒いだけだったのかもしれない。ほんとうに嫌な時間だった。

じっさい、麻酔はクソ痛かった。何回刺すねんって思った。私は仰向けになっているのだけど痛すぎて腰が浮いた。まじで、「ゔゔっっっ」って何回も言った。「ゔゔゔゔ」「ゔゔゔっっっっ」5回は言った。唸っていた。それもスローに。多分あれは私の中でいちばんかっこいい声だったと思う。みんなに聞いてもらえないのが残念で仕方がないねえ。

麻酔はぜったい、5回以上刺した。メスで切るときは麻酔が効いてて声は出なかったけど腰は浮いた。

明日も来てください、とのこと。

はい、わかりました。

次の診察までは24時間くらいなのに、ロキソニン(痛み止め)を5粒も渡されて恐怖に震えた。じっさい、めっちゃ飲んだ。ふつうに痛かった。

まじクリスマスやべぇな。なんて日だ。

手術が終わったんだけど、自転車に乗れないので押して歩く。痛い。しばらく歩いたりして、そこらへんでお弁当を買った。ご飯は近くの誰もいないところで食べたかった。周りがうるさいと傷が痛みそうだ。それに薬を飲まなきゃいけないし。

京都大学でお弁当を食べて抗菌薬と痛み止めを飲んだ。そして先輩に会い、挨拶をして別れた。ありがとうございました。

メスで切って開いたところにガーゼを詰めてあるらしい。明日の朝、それを撤去するそうだ。でかかったもんな。その膿を培養に出してくれたらしい。変なことになってませんように。

今日から風呂に入れない。湯に浸したタオルで身体を拭いて寝る。

ーーー1226(DAY1)

2日目はガーゼを外して洗浄した。そしてまた新しいガーゼを埋めた。明日も洗浄にこいとのこと。27日(日)の午前中。おなしゃす。

ガーゼを外す時が痛かった、身体の皮を剥いでんのかと思った。粉瘤の大きさは中程度から大程度だったとのこと。

身体を拭いて寝る。風呂に入りたい。

ーーー1227(DAY2)

日曜も見てもらう。若そうな医者。痛かった。何も説明せず処置をする。すごく嫌だった。

風呂に入りたい。

ーーー1228(DAY3)

風呂に入れるのは二、三週間先とのこと。だけど今日から臍から下までは入浴おっけー。落ち着いてきている。薬は飲みきること。今年はありがとうございました、と言って診察室を出る。

今日から詰め物がなくなり、湯で洗い流し、そのあと薬を塗ってガーゼを被せるとのこと。

夜に鏡を使って写真を撮り、見てみたのだけど思ったより切ってた。すごい。こら痛いはずだわ。

風呂は臍から下しかつかれないのだけど、めっちゃ気持ちいい。肩までつかったとき人はどうなってしまうのだろうか。まじでしばらくつかれない。つらい。