出家した同年代の僧侶と邂逅する、というオチだ。
私は名古屋から長野行きの鈍行列車に乗っていた。
すると2度乗り換えが同じだったので、高専に行っていると言う青春18切符で旅行中の学生と僧侶と3人で話すことになった。
高専の子には長野の美味しいラーメン屋を教えてもらって食べに行ったので大変感謝している。美味しかったよ。ありがとう。
列車内にて。
3人はある程度雑談を交わしたあと、我々2人が学生だと名乗る。
するとあと1人がなにか言いにくそうにしているので、
「なにか神聖なことをされている方ですか?」と問うと、首肯した後にそうだと言った。
同じ時間をしていると、そういえば玄関を開けずにドアtoドアで話したことがあるような気がしていたのだ。なんかスピリチュアル。
僧侶は修行中であるため、スマートフォンなど電子機器は携帯していない。修行ってなんなん。
かわりに時刻表を持っていた。
そして資金も必要最低限支給があると言っていた。
あと僧侶は口からマイナスイオンが出ていそうな声で喋る。これが仕事か、とも思う。
私は仕事の時の感覚をプライベートまで持っていくのはあまりよしとしない。
それでも一長一短だ。ほどほどでいい。
宗教や福祉を使って弱者とされる人らを食い物にする時があるとみえているので、積極的に好きではない。
このことは、釜ヶ崎、西成、ホームレスビジネスでも勉強することがあった。
別れ際に僧侶の活動内容を示すパンフレットをもらうとすぐさま「勘弁してくれ」と思い、松本駅で降りた。そばを食べた。
穢れを祓った気持ちで再び長野駅に向かった。
すまんな。そばはいいぞ。