スイカが好きなフリをする

博士課程D2/看護学/障害学/社会学/研究や旅行、日常で思ったことなどを楽しそうに書いてます

リベラルアーツのこと

大学の講演でリベラルアーツに関することを聞いた。

"リベラルアーツという言葉は元々ギリシャ・ローマ時代の「自由7科」(文法、修辞、弁証、算術、幾何、天文、音楽)に起源を持っています。その時代に自由人として生きるための学問がリベラルアーツの起源でした。「リベラル・アーツ」、つまり人間を自由にする技ということです。

 ............."

(東京工業大学 上田紀行さん)

https://frompage.jp/ynp/liveralarts/

そうだそうだ、いいよね、それ。

私が初めてそれを知ったのは20歳くらいだと思う。当時は本を読むことしか娯楽がなかったので、たまたま手にとった本にそのことが書いてあった。

『武器としての決断思考 』(著:瀧本哲史)、本のタイトルは今も覚えていたし、リベラルアーツって言葉なんか出てくんの?なんて思いそうなタイトルだ。だけどちゃんと出てきた気がするし、「これおもろい」って感じたのを覚えている。

以前、猫プロが「コンピューターグラフィックとかデザイン、プログラミング(うろ覚え)の授業を取ろうとしている」みたいな話をしていた。

私は猫プロが具体的にどんなことを学んでいるのかは知らないけど、コンピューターなんとかは明らかに学んでいることと違うはずだ。

私はその時にリベラルアーツを感じた。それは使い方を考えたら、お金になる。それを学んで、使い方を考えて、使ったり組み合わせてみて、収入を得て、生活をしていく。

猫プロは2人いるのだけど、どちらもおもしろい。次に会えるのが楽しみだ。楽しみに思えるなんてめちゃくちゃありがたい。そのうち1人は自粛期間中にフランス語やってるなんて言ってた。どれだけフランス語喋ってくれるんだろう。

閑話休題

『武器としての決断思考』本を読んだ当時、いろんなことができない私だった。そこを「ぜんぜんみんなと同じようにしなくていいし、やり方なんていくらでもある。ボコボコにしたるからな。」と思えるようになった本かも。たぶんだけど。

私は南海キャンディーズ山里亮太さんが好きで、本も読んでいて『天才はあきらめた』に思うことはたくさんあった。まあほとんど共感だが。クソ悔しい思いをガソリンに変えて、できることを探した。

今でもできないことはできないままだし、よく壁にぶち当たっている。まぢストレスフル☆。やっぱりその度に「ぶっ○す」精神でやっていくしかない。

DVD『たりないふたり』もめちゃくちゃおもしろいのでぜひ。南海キャンディーズ山里亮太とオードリー若林正恭がやってるお笑いだ。

若林の本もめちゃくちゃおもしろい。

キューバに行った本もよかった。『表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の野良犬』

ハライチ岩井の本もおもしろかった。

『僕の人生には事件が起きない』

野球観戦の何がおもしろいのかわからないみたいなことが書いてあって、私は激しく同意した。たしか、祖先の繋がりがあるわけではないしもちろん兄弟や友達ではなく、単に知らない人が集まった2つのチームが球を打ってなにかを競うことのどこに感情移入できる要素があるのか、みたいな感じ。わろた。

今日は積読していた本を手に取って、パラパラ読んでみると、『笑ってる場合かヒゲ』(「水曜どうでしょう」関係の本だ)まさにリベラルアーツのことを感じられることが書いてあってびっくりした。そういうことだよな、おい。

大泉洋さんが1人で書いた本もおもしろい。『大泉エッセイ--僕が綴った16年--』

伊坂幸太郎『仙台暮らし』には仙台の街並みが出てきてめっちゃいい。仙台に行きたくなる。

こんなことを考えていたら『武器としての決断思考』を書いた瀧本哲史さんが昨年亡くなったというニュースのことを思い出した。

「何年何月何日に読んだか」っていうのを記録しとけばよかった、と思いはじめた。だから最近は読んで唸った本にコメントを直に書いたり日付を書いたりしている。

私はむかしの記事に「武器」と書いているのだけど、ずっとこの本の影響を受けていたのかもしれない。

ブログの検索窓に「武器」と入力して検索したらいくつか記事が出てくる。いつもこの方法で過去に書いた記事を検索して、ヒットした記事を読み返したり新しい記事のなかにURLをコピペしたりしている。ありがたいことにこのブログも225記事になった。まあドゥンブリチャレンジ(DC)で記事数が増えているところもあるけどな。ええねん。

ずっと、いまも、「武器」って表現が好きだった。それがないと戦えないのでね。いちおう私は穏健派である。政治的な意味はない。それに、偏ったらロクなことないからな。

やり方なんていくらでもあるんだ。

私はすごく自由だった。