スイカが好きなフリをする

博士後期課程D3/看護学/障害学/社会学/研究や旅行、日常で思ったことなどを楽しそうに書いています

恥ずかしいと思うことについて

いろんな恥ずかしさに会った。



友人の司書さんに「1番好きな本」を聞くと、
恥ずかしくてそれは答えることができない。
とのことだった。

私はそのとき、言葉や本人の気持ちをわからないまま放っていた。
なぜ恥ずかしいのか、と思わずに
そうならいいや、程度にしか思ってなかった。




後日、京都のホホホ座で山下賢二さんと花田菜々子さんのトークイベントに参加した。
そのときに山下さんへ「1番好きな本」の紹介がふられると、
恥ずかしくてそれは答えることができない。
1番好きな本というのはその人の核であるものだから。
とのことだった。



ああ、司書さんとの関わりの中にあった感情はこれに近いものだったのかと思った。
私は本が好きで読むことはあるけれど、本を読んでいる人に比べたら量は少ない。質も浅い。
本を読む量や質と思いについては関係ないかもしれないが、当時私はそれを思うに至ることができなかった。





翌日、岸政彦さんと花田菜々子さんのトークイベントに参加した。

気になった場面がある。
岸政彦さんはトーク中に写真を撮られると、仕草と話を通して会場には笑いがあった。
こういう雰囲気というか、話の内容もあって気持ちがいい時間だったんだと思う。




その中で岸さんは映画を一緒に見ることはできない、と言った。感想を話し合うことはむず痒いし、一緒に同じものを見ることもできないように聞こえた。



友人Aは、集団の遊びの場で恥ずかしそうに振る舞うAの友人を見るのは居心地が悪い、気持ちがよくない、恥ずかしいように言った。



自分はというもの、恥ずかしいと思うことが減ったように思う。
それは「できないことが多いだろう」という開き直りがあるからだ。
恥ずかしいと思うことがあっても、いろんな話を聞いたあとでは自分の持つ恥ずかしさはきれいな理由でない場合が多いなと思った。
あと、嬉しい気持ちが恥ずかしいを上回った結果に恥ずかしさが見えなくなってしまう。
姿勢はだいたい謙虚で貪欲にありたい。



たまにブラックになれると思うと気が楽だ。




先日。
そんな司書さんから、図書館でコーナーを作るための本を教えてほしいとあった。
ココロオドルような本を、歳を重ねる過程で出会ってほしいと思う。
読む必要はないし、本を手に取れない事情があるやもしれない。
きっかけになればいい。
使えれば自由になるし、かなり遊べる。





5\27(日)

京都の静かなカフェで休んでいる。
テラス席。
目の前に紫陽花が咲いている。
紫陽花の下には小川がせせらいでいる。
3メートル幅の小川の向こうにはピンクサロンがある。
外国人、サングラス、浴衣、ホルモン屋さんの行列、サンダル、いろいろみえる。