スイカが好きなフリをする

博士後期課程D3/看護学/障害学/社会学/研究や旅行、日常で思ったことなどを楽しそうに書いています

救急車を呼ぶはなし

(大学生のとき)
駅ビルでアルバイト前の時間をふらふら歩いていると、人が直立姿勢から自由落下運動のように地面へ倒れた。
あの初めて聞くような鈍い音は決して心地よいものではなかった。




近寄り、「大丈夫ですか」と声もかけるも反応なし。
肩を叩いてもダメ。
打ち付けた頭からは血が流れていた。
血でできた小さい水溜まり。
60秒ほどで近くの警備員が近付いてきて2人で対応した。
私は救急車を呼んだ。




駅ビルの中なのでもちろん人が多い。
たくさんの人がいる中で倒れたのだ。
観客になる人と、素通りする人の多さにびっくりした。
なんなん無関心って。
見世物で倒れたんちゃうぞ。






(1年半前)
仕事を終えて、20時頃コンビニに届いた荷物を受け取りにいった。
歩いて下宿先に帰っていると、目の前から老夫婦が歩いてきた。
男性の足取りが怪しい。
気にしながらすれ違うと、視界から外れた辺りで地面に倒れた。
おばあさんの声。
おじいさん意識なし。
呼吸がみえた(これが違っていたのかもしれない)。
おばあさんに「声をかけ続けてください」と言って救急車を呼んだ。
その場に対して「私は看護師です」と名乗った。
とりあえず回復体位になるよう身体を動かす。
しかし、私は脈もとれていなかった。
胸骨圧迫もできていない。
誰かがおじいさんの身体を冷やさないようにコンビニでカイロ買ってきてくれたりした。
真冬の夜だった。



救急車が来ておじいさんは運ばれていった。
同時に警察が来たので状況と連絡先を伝えて家に帰った。
翌日仕事を終えると、警察から連絡がありその後のことが私に伝えられた。

どうすれば看護師のスキルが私にとって人の役に立てられるのだろうか、と思った。
私はなにもできないじゃないか、と思った。




冬の夜、コンビニの近くを並んで歩く旦那が突然倒れるなんておばあさんは考えもしなかっただろう。
毎日をちゃんとしようと思った。
これを書くまで忘れていた程度の覚悟ではあるけれど。






(半年前)
東京で後輩と電車に乗っていると、ホームで人が倒れたため出発を見合わせていた。
アナウンスがあったので、なにかできることがあると思い後輩を残して現場に行った。
倒れた女性は意識があり、応答もできていた。
後頭部を地面に打ち付けたそうだ。
「大丈夫です、救急車来てます。」
と話して停まっている電車に戻った。
なにか本人が落ち着くことのできるような、安心できるような声かけができないものかとあとになって思った。





不測の事態に遭遇することはある。
人身事故などがあっても、
「またトラブルがあったのかちくしょうめ、間に合わないじゃないか」ではなくて、
「あぁ人が亡くなったのか、あるいは、怪我は大丈夫だろうか」など、考えるようでありたい。
みたいなことを社会学者の岸正彦さんがどこかで書いていたと思う。
野次馬になっても自分の時間が潰れるだけなので、もしなにかできるなら、どうせなら、関わっていきたい。
見たことを見てないことにするのは、得意ではない。