スイカが好きなフリをする

博士後期課程D3/看護学/障害学/社会学/研究や旅行、日常で思ったことなどを楽しそうに書いています

おばあちゃんの冷えピタ

 どうもです。4月になりました。新年度スタートです。前回の更新から1か月ほどあいてしまいましたが、私は元気にしています。3月はずっと家で作業していて、「おお、いかにも大学院生らしい生活をしているものだな」と、自分に感心するほどでした。つまり、更新するネタが多くなかったのです。いや、ちがうな。ネタはいくらでもあるのだけど、ブログを書くような元気が出なかったのでした。それで久しぶりに自転車に乗って出かけたときには、桜もめっちゃ咲いているし、お花見をしている民がたくさんいたのでびっくりしたくらいです(3月後半頃のはなし)。

 

 この記事を書くころ(230406)には、もう桜はだいぶ散ってしまっていて。自転車に乗るときには満開の桜がたくさん見れたのだけど、「あー、桜が咲き始めたな」っていうのができなかった。悔しい。そういう感覚がけっこう好きで、それで気合が入ってみたりもするのだけど、逃してしまった。まあそれでああだこうだと言っていられる環境ではないので、そのことは自覚しているので、根性を燃やしてやるしかない3月だった。この記事を書きながら振り返ってみて、まあよくやったと思っているよ。えらい。

 

 そういうわけで、3月は自分にある、根性とか体力とかいう謎の要素をエネルギー源にしていた。一度だけ体調を崩して薬を飲んだくらいだ。やりすぎたんだろう。やりすぎはよくない。体調を崩した、とは書くのだけど、私の場合は風邪じゃない。発熱や咳は出ないし、喉だって痛くない。いわゆる感冒症状はない。だけど薬を飲まないと、体調不良がよくなるのにだいぶ時間がかかるめんどうなやつなのだ。

 

 以下、ネタを消化しておく。

 

 3月は、包丁で玉ねぎを切ったら包丁が欠けた。これが一番びっくりした。肉や魚は切らないし、野菜くらいしか切らないのに。いや玉ねぎで欠けるん?包丁ってそんな欠け方するん?って感じ。2016年から使っている包丁で、拠点を移してもずっと使い続けていたやつだ。もし包丁が欠けていることに気づけずに、玉ねぎをそのまま調理に使っていたらと思うとゾッとした。私の口の中はとんでもないことになっていだろうよ。

 包丁を捨てるのも初めてだったので、どうやって捨てたらいいのかわかるはずもなく、WEBで方法を探してみたりした。包丁が欠けているとはいえど、刃は大部分残っているし、むちゃくちゃ厳重に保護していても捨てるのが怖かった。

 

 作業をやり続ける支えになったのが、「冷えピタ」だ。これがめちゃくちゃよかった。記事のタイトルは「冷えピタ」だけにするとなんかそっけないので、おばあちゃんの冷えピタにした。「おばあちゃんの」って、なんにでも使われてる気がする。おばあちゃんの知恵袋、おばあちゃんの台所、おばあちゃんの研究...etc

 冷えピタは1日中つけていて、寝るときもつけていた。一度つけたら、外に出ない限り冷えピタを外す必要なんてない。なんだけど、アマゾンの宅配便が届いて玄関で受け取るときだけは外すようにしていた。

 

 冷えピタをつけていると、相手は「この人は発熱がある人なのかもしれない」と感じさせてしまうかもしれないからだ。そうなると配達者に申し訳なさすぎる。私が屋外で冷えピタをつけないのは、これが大きな理由だろう。ひょっとすると、ほかの人たちも同じような理由で冷えピタをつけたいけど屋外ではつけていないのかもしれない。みんなはどうして冷えピタをつけていないんだろう。