年に何度か消耗することがある。
他者から見えない力を振りかざされることがある。
力によって誰に何も利益がないと感じてしまうときに消耗する。
感情が顔に出やすい。
楽しいときは伝播して周りも楽しくなるので案外いいものと思っている。
イライラしない。自分が疲れるから。
私はかなりのマイペースだ。
笑いもよく伝播する。
あと、落とし穴はどこにでもあると思った。
嵌まってしまわないように気を付けていたとしてもいま自分の居る場所が知らないうちに、もとに戻ることができないほど凹んでいることがある。
その時に気づかないから厄介だ。
時間が経って振り返ったときに気づく。
だいたいは相手に期待するからよくないと思う。
消耗したことに気づくと、頭の中でひたすらパラパラを踊る。
実際のところ踊りはしないけど思考のなかですごく踊っている。滑稽。
疲れたら温泉に入る。
怒りや残念な思いに支配される意味がなければ、理由もないのでただ踊る。
手をいつもよりクルクルさせている。
本文より
他人からは「些細なこと」とか「我慢が足りない」という言葉で簡単に片付けられてしまうことも知ってしまった。渦の中に引きずり込まれたら平常心ではいられないのだ。簡単に「わかるよ」とか「もっと大変な人もいるよ」と言われてしまう絶望感は、経験した人にしかわからないかもしれない。
こだま:夫のちんぽが入らない
これだと思った。
当事者にとっては些細なことではない。
見た人は我慢が足りないと思うのかもしれない。
そこには想像ができないであろう身体の内部から鈍器で叩かれるような痛みがあるのだ。
だから私は簡単に同情や共感はしない。
それはその人を踏みにじる。
我々が経験できないもしくは、人によっては想像しようともしない経験をしているのだから。
その人なり闘っているのだから。
自分で気を付けていても、最近友人に注意を受けた。
思ってもないこと言わん方がええぞ、と。
私は返事が見つからないときや興味がないときに、世間一般が望ましいとする返事をするきらいがある。
気づいてなかった。気を付ける。
あと、聞いてないのに適当に返事をすること。
悪い癖をつけてしまった。気を付ける。
友人は偉大だ。