スイカが好きなフリをする

博士後期課程D3/看護学/障害学/社会学/研究や旅行、日常で思ったことなどを楽しそうに書いています

旅と声をかけることについて

旅行と旅は違うようだ。
旅は行動の予定を決めていないもの。



宿は宿泊当日に予約する。
今日はここまで行きたいので、宿はここだ。
したら明日はここまで行こう。
のように、考えるのは楽しい。
思う通りにいかないことも多いので、トラブルの度に旅をしていると感じる。
一人で移動している時は音楽を聴いていることが多い。
東北の電車に乗っているときは、現地の人の訛りが聞きたいばっかりにイヤホンはつけなかった。


音楽の記憶というものは大きいと思う。
そう思っているところに、なんの脈絡もなく知り合いが同じことを話し出したので、同じ人を見つけたと思って嬉しかったのを覚えている。

ミュージックプレイヤーから木村カエラが流れ始めると、「名古屋で食中毒なった時よく聞いたなぁ」とも思うし、「あの時は先の見えないアンダーグラウンドの中で前を見ずに居たな」と思う。20代前半。
学部時代は全く楽しくなかった。暗黒期。




友人と香港に行ったことがある。
その時はチョンキンマンションに宿泊した。
香港って宿高いのな。
バックパッカーの宿だけど1泊8000円くらいしたろう。

23時頃、宿泊先を離れた市場のような場所でお互い自由時間を作ると、買い物をするために散った。
するとマジではぐれた。
私が勝手にふらふらしていたのが原因なのだけれど。

その時、私の携帯の電池はほとんどなかった。
友人に電話をしてみてもつながらない。
国際電話になってもいい、お金のことは気にしていられなかった。
しばらくして私は、危険思考が先行あるいはそれに支配された。
もしかしたら友人は拉致されたのではないか、
相手の親の事を考える、
この市場で名前を叫んで友人を呼んでみようか、
そしたら私が連れていかれるのではないか、など。

ホテルの鍵を私が持っているので部屋に帰れば友人に会えるのだろうか。
しかし、友人は一人で帰っても部屋に入れないのだぞ。
しばらく市場を動けなかった。
実際は5分くらいなのだろうけど、私には30分くらいその場で立っているだけのように感じられた。
そして友人が目の前から歩いてきたのを覚えている。
前々から敵わないと思っていたのて、その時もやっぱり勝てないな、と感じた。
お互い市場内で動かない状態にあることを察知して動いてくれたのだろう。知らんけど。



旅をしていると、背に腹は代えられない状況に陥ることが多い。
すると、いつもできないことができるようになる。
淡路島の自転車ヒッチハイク、無償パンク修理、直島のゲストハウス屋上宿泊(ベッドがいっぱいだったので屋上のテントで寝た。ちょうどなんとか流星群の夜だったので流れ星がすごかった。)
ただ、大変失礼なお願いをするようになるだけなのだけれど。




徳島に来て目的地方面に行くバスに乗った。
発車すると、どの停留所で降りればよいのかわかってないことがわかった。
状態のわかった私はとりあえず困っていると、後ろの席のおばちゃんが土地勘のない私にもわかるようにずっと教えてくれる。
とても嬉しかったです。
同じ停留所で一緒に降りるようにもしてくれる。
降車場所の把握ができた後でも教えてくれる。
「停留所から500mくらいだからね」と教えてくれたので、Googleマップで見てみればちょうど500mだった。
おばちゃんすごすぎない。
ローカルなことも教えてくれる。
あなたはきっと、ただ者ではないのでしょう。わかります。
ありがとうございます。
本当にあたたかかったです。



この夜、私は荷物を持ってマジダッシュした。
目的地までの30分走。
幸い、終電のバスに間に合わせることができた。
そのバスの中で、ちゃんとしてJKと話をする環境に陥った。
私は26歳、高校生と話をする機会が失われてしまっていたので梅雨の憂鬱さと今の猛暑をなかったことにできるくらい幸せで楽しかった。
「よいお盆を」と言い、お礼も伝えてバスを降りる。





相手が誰であっても話をするのは面白い。
話をするようになるまでも面白い。
コミュニケーションに興味を持っている。