スイカが好きなフリをする

博士後期課程D3/看護学/障害学/社会学/研究や旅行、日常で思ったことなどを楽しそうに書いています

理由付けについて

(作業中)
「両利きなの?すごーい!」
と声がかかったとき、
両利きの私になっていた。
それはもう恥ずかしいくらいに誇らしげだったと思う。



(数字合わせ)
おっちゃんA「僕サウスポーの人と対戦するの初めてで、なんかいいですね。僕も今から始めようかな、とか思ったり。へへ。」
私:右利きですけど、この時は矯正し損ねたのでこのまんまでやってます。迷惑かけたらすみません。と、断って続けた。
感じのいいおっちゃんA「実際、左でする方が理にかなってるんだよなぁ。」
他にもオカルトらしいことをよく喋るとても感じのいい人だった。笑い方もすごく心地よい。





普段は自転車なので、下宿先から駅まではストレスなく移動している。
むしろ、この時間が好きなくらいだ。
その日は雨が降っていたので、バスを利用することにした。
以前記録していた時間に沿って、バス停へ向かった。
着くと、バスのダイヤが変わっていた。
まじかよ。
“音楽でも”聞いて待つか、と思ってポケットに手を当てるといつも定位置に入れているイヤホンケースを忘れていることに気づいた。
バスのダイヤが変わることより、忘れ物をする経験の方がはるかに多いので動揺しない。
下宿先へ取りに帰った。
時間には余裕があった。
このバス停から乗ったのも半年は前だものな。
そりゃあダイヤも変わるわな。
どんなスパンでダイヤが変わるのかは知らんけど。




「人は理由のないことに耐えることができない。」
災難が降りかかると、
罰が当たった。だからこうなった。
いままでいいことがあったから、これでとんとんだ。
事故、天災、いろいろ見てきて、話を聞いて、本を読んで、そう思う。



昼頃、大学内を歩いて移動しているとおじさまおばさまとすれ違った。
業務的な話が終わったあと、「じゃあ“うどんでも”食べてくるわ」と話して別れていた。
確かに、音楽でも、と選び方があるなら
うどんでも、という選び方があった。

すると私は音楽に対して失礼なことをしたと思うし、
言葉遣いに気を付けようと思う。
真剣にやっているものや作ったものに対して、
生意気な姿勢は傲慢だとも思った。



バスの話に戻る。

イヤホンケースをポケットに入れてバス停で待っていると、傘をさした推定30代女性が時刻表より5分ほど遅れて優雅に歩いてきた。
そう、バスは遅れている。
(、、、この時間のバスって遅れてくるの当たり前なん?)
私はお姉さんに声をかけた。
「おねえさん、時刻表より遅れて来てるの見かけたんですがこの線よく遅れるんですか?」
「今日雨降ってますし。私、アプリでバスがどこ走ってるか見てるんですよ」
ヒントを聞いたら、模範解答まで教えてくれるようなお姉さんだった。


KYOTOのようにバス停で目当てのバスが確認できるようにはなっていない。
アプリで確認できるだけで十分すぎると思う。



私は、”おばあちゃん”と言われ慣れてそうな人にはおばあちゃんと呼ぶ。
“おばちゃん”と言われ慣れてなさそうな人には推定50歳代であってもお姉さんと呼ぶ。
というか、怖くて“おばちゃん”と言えないだけだけれど。
怖いのは、反応されないこと、声かけによって傷つけてしまうこと。
男性はほとんど“おっちゃん“か”おにいさん”
おじいさんに見えても、おっちゃん。
おにいさんは小学生にも使える。
呼び方が増えると話しかけやすい。武器でもある。



到着したバスに乗る。
人が多い。学生、会社員。
雨で道路が渋滞するらしい。
友人から聞くと、普段自転車で行く人は自家用車に切り替えたりバスを利用したりするからだそうだ。


人の溢れるバスは苦しくなったのですぐ降りた。
雨が降っていても、歩いた方が身体と心の健康によかった。



そして、この日は寝違えていた。
もしくは、雨が降っていたから身体が痛かったのかもしれない。
どうして寝違えるのかわからなかった。
焼き肉を食べている時、友人に聞けばよかった。





(ビジネスホテル)
自販機にクラシックラガーがあったのを見つけると嬉しくなってすぐ買った。うまい。
嬉しくなることが多いのは、得な感覚だと思っている。
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