スイカが好きなフリをする

博士後期課程D3/看護学/障害学/社会学/研究や旅行、日常で思ったことなどを楽しそうに書いています

”クセ”を考えてみる

 1月のこと。

 

 打ち上げみたいな会に呼んでもらい、開会時刻からかなり遅れてそうだけど参加させてもらった。招待メールに書かれた「ぶり」という件名と本文を見て心躍り、(招待メールの確認が遅れたというのもあって)まあまあ急いで会場に向かった。

 

 会に遅れて参加するというのは、私の中でかなり力がいる。私が参加するまでにできていたそれまでの雰囲気とか流れっていうのも、途中から参加すれば当然わかっていないわけで。たぶんきっと、話に入りにくかったりもするだろうし。会に誰が集まっているのかもわからないし。いまごろ来ても「ぶり」は残ってねえよ、とか(いつから会が始まったのかはわかっていないのだが、予想では90分ほど遅れた)。そもそも私が参加することは他の参加者に伝わってあるのだろうか、とか。それにまず会場に着いたとき、第一声はなんて言って到着したのを認識してもらおうか、というのもある。このとき私は「こんばんは、遅れてすみません(ボリューム240%くらいで)澤岡です」と、かなり声を張った。

 

 まあほんとにどうでもいいような、誰も気にしていないようなことを考えて、というか、参加しなくてよいという楽な理由を自分の中にたくさん並べて参加を辞退するというのがよくある私である。

 

 しかし、今回の私は違った。それには、メールの件名が秀逸すぎたというのもある。このような件名なら、「セキュリティをかいくぐるために工夫されたウィルスを含んだメール」だとプログラムに判断されて、迷惑メールのフォルダに振り分けられてもおかしくないはずなのだ。

 あと、ベットする(賭けるというか頑張るべきな)のはここだと思った。なんか頑張ってみようと思った。ただ会に参加するだけなんですけど。参加して何かをするわけではなく、ただぶりをご馳走になるだけだというのに。それだけで頑張るだなんて、なんとまあ大袈裟に。

 

 唐突だが、私が勝負事を好きなのは、こういうところにある。ひとつの選択で何かが大きく変わったりする。変わってしまうことがある。ココだと思ったら大きく張るのだ。だから、普段は絶対しないことも、自信をもってやってのけることもある。もちろん、失敗することもあって。それでも、「まぁ、やった結果なら仕方がない」とできるから気持ちは悪くない。

 

 じっさいに参加してみて。ぶりをとてもおいしくいただいた。去年はぶりを食べてないんじゃないかな。いいね、ぶりは。かなり強い。

 会に到着すると、初めて対面した参加者のひとりに、「ほんとにそんな喋り方するんですね」と言われた気がする。

「そうなんです、私の喋り方というのはクセがありますから」

 そうなのだ。私は酒を飲んでいなくても、こんな感じなのだ。

 

 この人は、ZOOMでしか会ったことがなかった人だ。たしかに、自分の喋り方にクセがあるのはわかっているつもりだ。しかしまあ、この私のクセというのは、案外、仕事で役に立ったり立たなかったりすることがある。そして私自身、けっこう気に入っている。要は、使い分けが大事なのだ。

 

 このころ、人のクセから生じる攻撃性にまいっていた。だけど、ぶりの会で相談したり、日が経ってみたりなどして、なんかもうクソどうでもよくなった。自分のクセが攻撃性を持たないように気をつけたいと思っているよ。